物を買うより経験を買う

私は大の旅行好きです。海外に行くとなるとどんな国であれ、わくわくします。空港に近づくとテンションが上がってきます。おそらく新しいことが好きで、刺激が欲しいのだと思います。海外で新しい文化や、見たこともない風景に触れるとアドレナリンが分泌されまくります。

南アフリカなどはかなり面白いと思います。南アフリカと言われて連想するのはライオン、アパルトヘイト、ネルソンマンデラ、ホホジロザメの餌付け、喜望峰などでしょうか。では、南アフリカ人と言われたらどのような外見の人を思い浮かべるでしょうか?実は南アフリカには多種多様な人種が住んでおり、ひとことで言い表すのは非常に難しいのです。言語も2,3か国語くらいであれば多くの人が話すことができます。

話しは少し変わりますが、数十年前、オーストラリアで知り合ったスイス人の友人は、5か国語を話します。お父さんがドイツ語、お母さんがフランス語、おばあちゃんがイタリア語を話すそうです。どうやってコミュニケーションをとっているのか謎ですが、スイスでは隣町に行くと異なる言葉を話していることなどざらにあるようです。

私たちは純粋培養され過ぎているのかもしれません。もっといろいろなものに触れるべきです。世の中にはいろいろな人種がいて、いろいろな言葉を話す人がいるんだよと、子どもたちに教えたいといつも考えています。私の家では積極的に外国人が経営している飲食店で食事をすることにしています。少しでもそのような感覚を持ってほしいと思うからです。色々な国に旅する時間がなければ、色々な人に触れるように心がけてみてはいかがでしょうか。きっと世界観が変わるはずです。モノを買うのはいつでもできます。しかし経験を買えるのは人生の限られた時期だけだと思います。特に若いうちは物欲が盛んだと思いますが、積極的に経験を買ってほしいと思います。

MOOCsによる教育無償化の一方、学費は毎年10%上がる

Massive Open Online Courses (MOOCs)をご存知でしょうか?MOOCSはオンラインで提供される無料の講義の総称です。総称ですからMOOCsという団体はありません。大学が単体で提供しているものもあれば、いくつかの大学が団体を組織して提供しているものもあります。有名どころではedXやCourseraなどがあります。

無料と言っても、終了証が欲しければお金を払いなさいというフリーミアムのビジネスモデルなので、実際には無料ではありません。学費が無料ということであれば、University of the Peopleもあります。試験の費用はかかりますが、講義は無料で受けることができます。精査していないのであまりい加減なことは言えませんが、なかなか面白い取り組みだと思います。

講義はすべて英語のため、日本人には英語の壁があり、あまり普及していないのが現状です。また、無料オンライン講義を提供している日本の大学もありますが、いまいち盛り上がりに欠けています。あまり知られていませんが、appleが提供しているiTunes UもMOOCsのひとつです。日本の大学や高校も多数の講義を提供しています。

近年はアカデミックインフレーションが激しく、大学院進学率も高くなっています。英米では最低でも修士号は持っていないと昇進もままならないことが多いと聞きます。Google Financeなどで上場企業役員の学歴を見るとそれを垣間見ることができるはずです。尤も海外の大学院と日本の大学院では質が異なるので一概には言えませんが、私は日本の大学院を出る意味はあまりないように思います。(理由は諸事情により公言出来ませんが。)

いずれにせよ進学の圧力が強くなっているのは間違いありません。それに連動して、学費も高騰を続けています。イギリスでは国籍等によっても異なりますが、毎年10%程度の上昇がみられるそうです。日本でも国公立の学費が近い将来100万円を超えるとの試算もあります。

奨学金を利用して進学する人も多いようですが、奨学金は学生ローンです。後で支払えなくなって自己破産する人も少なくないようです。費用対効果を考えて進学を決めるべきです。これは大学院だけでなく、大学進学においても同じことです。みんなが行くから行くのではなく、自分で考え、借金してまで進学して、それ以上のリターンを得ることができるか慎重に検討すべきです。

卒業生寄贈の時計

先日、とある用事で、とある高校の教室へ行った。黒板の上に昔ながらの時計があった。懐かしいなぁと思いよく見ると、「平成〇〇年卒業生寄贈」との文字があった。考えてみれば、なぜ授業料も支払った高校にプレゼントまでしなければならないのだろうか?いじめなどでその高校に嫌な思い出しかない卒業生も、強制的にお金を集められて寄付させられるわけであるから、たまったものではない。と言うよりも、実際にお金を払っているのは卒業生ではなく保護者であるから虚偽表示もいいところである。

よくよく考えてみれば昔は(今もそうなのか?)学校と癒着している業者はかなりおいしかっただろう。制服は指定の場所でしか買えなかったし、ほぼ定価だった気がする。サービスもろくに良くない写真屋さんがイベントのたびに写真を撮り、高い価格で販売していたものだ。また、旅行会社もおいしかっただろう。修学旅行も積み立てをさせられていたが、それだけ積み立てれば海外に行けるだろうというほどのぼったくり価格だった気がする。それでもそれほど文句も出なかったのは日本社会全体が豊かであり、且つ良くも悪くも情報が少なかったからだろう。

癒着はさておき、寄贈の話に戻すと、寄贈しないという選択肢があっても良いだろう。「寄贈」とは「学校などの公共性の高いところに物品を贈ること」と定義されているが、ニュアンス的には自発的に寄付することと私は認識しているから、寄贈には違和感を覚えざるを得ない。受け取る側が意思を持たない学校ではなく、個人であったらおそらく問題となるだろう。受け取り側が学校であい、みんなで使うから良いとの認識だと思うが、みんなで使うものであれば学校側が用意すべきである。

話は少し逸れてしまうが、大学の教員をしていて一番嬉しかったのは学生から頂いた寄せ書きの色紙である。それも私が教員になって初めて担当させていただいたクラスで頂戴したもので、今でも大切に保管してある。その色紙を渡されたときは嬉しすぎてリアクションできなかったのを鮮明に覚えている。涙がこぼれそうなのを我慢してそそくさと色紙を鞄にしまい、その場を立ち去ってしまった。もっとしっかりとお礼を述べるべきであったと今でも後悔している。そのときは照れ臭いやら涙を見られたくないやらで気が動転していた。後になって冷静に色紙を見ると、私の心が汚れているからかもしれないが、書きたくないのに書あされたようなコメントもあったが、それも含め、思い出の品になっている。私がこの世を去り、火葬されるときには一緒に入れてほしいとさえ思っている宝物だ。贈り物とうのはかくあるべきだということを学生から教えてもらった。ありがたい話である。

医者が教える、東大式、もうやめませんか?

医者が教える健康法、東大式勉強法などのタイトルを冠した本が多く出版されており、よく売れているようです。勉強ができるのは間違いないかと思いますが、医者や東大卒業者が教えることをすべて鵜呑みにするのは少々危険なように思います。権威絶対主義も危険です。何が危険かと言うと、人の言うことを鵜呑みにして自分で考えないようになる思考停止が一番危険なのです。

人に考えてもらうのは非常に楽なことです。一方、自分で考えるの面倒と考える人が多いのかもしれません。人に言われたことをやるのか、自分で考えて行動するのかという選択は、サラリーマンか起業するかの選択と類似しているところがあります。多くの日本人には前者の選択が向いているのでしょう。

様々な健康本も出版されていますが、それをすべて実行することは可能でしょうか?推奨されている栄養素をすべて摂取するとなると、朝から数十個のサプリメントを服用しなければなりません。結局のところ、バランスよく食べ、適度に体を動かし、早寝早起きをして規則正しい生活をすることが最高の健康維持法なのです。事実、ハーバード大学医学部でもそのような予防医学を推奨しています。(興味のある人はニュースレターを購読すると良いでしょう。無料です。)

私が病気のときに行く近所のクリニックがあります。私は大変失礼とは思いつつ、わが身を守るため、このような症状でこのような薬が欲しいと伝える事にしています。その医者はかなり高確率で誤診をしますので、その医者の診断は、逆に病気を特定するため(消去法)に必要だと考えています。近所で利便性が高いこと、ヤブ医者(失礼!)との悪評が高いため空いていて待ち時間が少ないことから、ちょっとした病気のときは利用しています。名誉のため申し添えておきますが、その先生は非常に温厚で、誰からも好かれるタイプです。

現状、医者は腕が良くても悪くても治療費は全国一律で変わりません。医者全てを優遇するのではなく、腕の良い医者にはより多くの報酬を払い、そうでない医者には反省してもらう方が良いでしょう。(当然のことですが、後で診断した医者の方が有利ですから、そのあたりは考慮しなければなりませんが。)競争原理に対する賛否はありますが、胡坐をかいてしまい精進を怠るようでは人の命を預かる者としては失格です。

医者は一定の割合で誤診があっても仕方ないと考えているかもしれません。たとえば歯医者さんに行って翌日に詰め物が取れたとします。当たり前のように治療費を請求されますが、考えてみればおかしなことです。仮に、内装屋さんに壁紙の貼り替えを頼み、翌日にそれが剥離してしまったとします。内装屋さんは無料で補修するはずです。歯医者さんは翌日に詰め物が取れても謝罪もせずに治療費まで請求します。医者も同じです。誤診でも返金はしません。このあたりは一考の余地があるかもしれません。

セクハラと性的虐待、#MeToo

#MeTooが昨今話題を集めています。セクハラや性的虐待が次々と告発されています。もちろんセクハラや性的虐待は許さるものではありません。つらい思いをした人はこの機会にどんどん告発すべきだと思います。大学や医者などの閉鎖的な業界においては、潜在的にかなりの数の事件があるはずです。しかしながら注目を集めたいがために私も私も(Me, too!)と便乗している人がいることも否定できないように思います。基本的には秘め事であるため、証人がいないことはほとんどで、実際には冤罪であることもあるはずです。

日本では認識が希薄なようですが、アメリカではセクハラは大問題です。某大手日本企業の役員が莫大な慰謝料を支払ったケースも過去にありました。日本では数十万、数百万であっても、アメリカでは億になります。職場ではコミュニケーションが大切と言われますが、同じフレーズでも好意のある人に言われるとうれしく、嫌悪感を覚える人に言われるとセクハラになるのであれば、私個人としては極力、近づかない、話さないようにしたいと思ってしまいます。

卑劣な犯罪であるレイプですが、レイプは親告罪(被害者の告訴が必要)であるため、なかなか一歩を踏み出せないケースも少なくありません。心に深い傷を負った上に、多くの見知らぬ人の前で、話したくない過去について何度も話さなければならないことを考えると、無理もありません。レイプの多くは顔見知りの犯罪と言われていますので、告訴を躊躇するのは無理もありません。レイプされる側も悪いとの意見もあるようですが、顔見知りが故に油断してしまうことは誰にでもあることです。また、誘惑するような服装であったとの意見もあるようですが、アメリカで行われたレイプされた際に着用していた服の展示会(啓発活動として行われている)を見る限り、そのようなことはないように思います。

いかなる理由があろうともセクハラ、レイプは許されるものではありません。しかしながら、過剰反応して、証拠保全のためにデートや秘め事の前に契約書を交わすような社会にはなって欲しくないと思います。

災害時になぜ貧しい人が被害を被りやすいか?

たとえが適切ではないかもしれませんが、地震が起きたとき、被害を被りやすいのはもちろん揺れが大きかった地域です。しかし条件が同じであれば、家の構造上の強度が低い家の方が倒壊の可能性は高くなります。強度を出すためにはお金がかかります。つまり、お金で安全を買ていると言ってもいいのかもしれません。

東南アジアの多くの地域では洪水が起きると、まず貧しい地域の人が水害に遭います。文献を読んだわけではないので下手なことは言えませんが、私が見る限り、貧しい人の住む地域、もっと言えばスラムは川沿いにあることが少なくありません。なぜかと考えてみると、やはり水です。水があれば食事や洗濯など生活に困りません。場合によっては川に何か使えるものが流れてくるかもしれません。川沿いに住んでいれば当然水害に遭う確率も高くなります。

リスクはそれだけではありません。問題は水質です。上水はどの国でも概ね管理されていますから、ある程度は問題なく使用できます。しかし、川は場合によっては下水のようなものです。下水が厳しく管理されている国は少数ですから、川上に何があるかによって水質は大きく異なります。大きな目で見れば私たちは地球の消化器官のひとつであり、口から食べ物や水を入れ、尿道や肛門から排泄します。排泄物は下水を通って自然に還元され、私たちはそれを再び口にします。にもかかわらず、下水にはほとんど配慮しません。都市部の下水道が少しずつ傾斜がつけられ、所々ポンプで汲み上げられて処理場まで続いているということでさえ知らない人がほとんどです。スラムの人たちは恒常的に汚染された水に依存しているのです。

私たちが使っている上水は有料です。特に日本の水道水は飲用に用いても安全ですから(と言うよりも、多くの日本人がそのような認識さえ持っていない)、海外に行って水道水が飲めないと聞くと驚く人もいるようです。どのような用途であっても上水は有料ですから、貧しい人は水道を引くことができません。そうなると井戸を掘るか川の水を使用するかです。井戸は掘るのに技術、時間、費用が必要ですが、川の水は誰もが簡単にアクセスすることができます。川沿いに住む人はその選択肢しか残っていないのです。

シンプルノンネイティヴイングリッシュ

喜ばしいことかどうかは別として、英語は事実上、世界共通語になっています。エスペラント語ではありません。世界経済の仕組みを作ったのはアメリカですから、当然のことと言えば当然です。

英語のネイティヴが有利であることは間違いありませんが、必ずしもそうとは言い切れない部分もあります。それは、ノンネイティヴの英語話者の台頭です。今や、ネイティヴスピーカーの数をはるかに超えた数の人が英語を使っています。

ノンネイティヴの英語はほぼ例外なくなまっています。母国語の感覚をそのまま持ってきて英語を使用しているので、場合によっては英語かどうかの判別が難しいことさえあります。私も幾度となく、何語か判別できなかったことがあります。さらには英語を話しているらしいのですが、私には聞き取れず、別の人に英語を英語に訳してもらい商談したこともありました。

何年も前から、英米の政府機関等においてPlain Englishを使用する動きがあります。Plain Englishとは、専門用語や高度な言い回ではなく、明確で簡潔な英単語や英語表現を言います。たとえば判決文を読み上げられても、法律の専門家でない限り理解できません。そこで、一般人にも理解できる簡潔な英語を使いましょうという動きです。この動きはノンネイティヴにとっては好ましい動きです。

Clichéもノンネイティヴには通じにくいと言えます。たとえばLet’s face it.(事実を受け入れよう。)という表現があります。faceには「~に直面する」という意味がありますから、それに向かい合おうということで何とか意味が取れるかもしれません。しかしながら、このような言い回しは、わかりやすい直接的な表現ではありませんから、ノンネイティヴ間では避けた方が良いでしょう。

ノンネイティヴ同士のコミュニケーションが増えるこれからの時代は、難易度の高い表現ではなく、簡潔且つ誤解を招く可能性が低い表現を使用するべきです。もちろん相手がそれなりの人であればPlain Englishだけですと教養レベルの低い人だと思われてしまうので、あくまでも状況に応じてということになります。

クロスセルに目出し帽とバット

「この商品を買った人はこんな商品も買っています」のように一緒にほかの商品も購入してもらう手法をクロスセルと言います。以前、アマゾンで話題になったのが、そのクロスセルに目出し帽とバットが出ていたそうです。もしかして銀行強盗とか。。。と思ってしまうのは無理もないかもしれません。しかし寒い屋外で素振りやバッティング練習をする人もいるはずです。そもそも銀行強盗をするような人は、足がつくアマゾンで購入したりしません。銀行強盗の映画でも必要なものは別の人が別々のお店で購入しています。

ここまで読んで、日本で銀行強盗なんてないだろう!と思っている人もいるかもしれません。実は警察庁の統計によるとピーク時の2001年には未遂も含め年間237年の銀行強盗があったそうです。かなりの数で驚きです。アメリカでは年間約5,000件の銀行強盗があるそうです。まさにけた違いです。件数が多いことから統計学も進んでおり、金曜日が一番多く、午前中のほうが成功率が高いという分析まで出ています。5,000件のうち約10%がカリフォルニア州で起きているそうですから、1日2回ほど襲撃されていることになります。小規模な銀行で起きているそうなのでコンビニ強盗に近い感覚なのだと思います。

余談ですが、アップセルはさらに高額なものを勧めて販売することです。クロスセルとセットで出てくる用語なので覚えておくと経済ニュースなどが読みやすくなるでしょう。

リスニング:その5:消える音

思っていたよりも音が短いことがあります。ディクテーションで自分が書いたのは5単語だったのに原稿は7単語だったというような場合は前回学習した「つながる音」が原因です。一方で、単語の一部の音が消える(発音されない)こともあります。

母音で始まり、次の音節にアクセントがある場合、先頭の母音は聞き取れないくらい非常に弱い音になります。

神戸にあるメリケンパークはアメリカンパークが語源だと言われています。アメリカンは「メ」を強く読みます。先頭の「ア」は聞こえず「メリカン」と聞こえます。アメリカンも正確に言えば「メリケン」に近い音です。従って「メリケン」と聞こえます。メリケンパークになったのも頷けます。

apologizeも同様の理由で「ポロジャイズ」と聞こえます。

eliminate:リミネイッ
illuminate:ルミネイッ

最初の母音にアクセントがある場合は音は消えません。むしろ強く読みます。
applicant
apple

このルールはあくまでも「音」に依存するのであって「綴り」ではないことを覚えておいてください。

リスニング:その4:つながる音

突然ですが、皆さんは、誰かに鍵盤をひとつたたいてもらい、それがどの音か当てることができますか?絶対音感を持っているのでなければ、その音を覚えていなければどの音が弾かれたか答えることはできません。

リスニングにも同じことが言えます。音をあらかじめ覚えていなければ音を判別することができないのです。ひとつひとつの単語の音を覚えていても、他の単語と続けて発音されると音が変わり判別できないから聞き取れないのです。また、それ以前の問題で、ひとつひとつの単語の発音を間違っていることもよくあります。

garage:ガレージ→ガラージ
herb:ハーブ→アーブ

もっと驚くような単語の発音もあります。それはandです。英会話の本には「アンド」「エン」などとカタカナがふってあることもありますが、andの発音は強調する場合、ゆっくり読む場合を除き、「ン」です。

「ロックンロール」を英語で綴るとRock ‘n’ Rollとなります。この’n’はandの省略です。「ン」と発音するからnに省略しているのです。ですから「ロックアンドロール」ではなく「ロックンロール」と発音しているのです。

これはロックンロールだけに当てはまるルールではありません。たとえば2,500円を英語で言うと、two thousands and five hundreds yenとなりますが、andは「ン」と発音します。Come and see me.も「カムアンドシーミー」ではなく、「カムンシーミー」になります。

音がつながり変わってしまうケースを見ていきましょう。

last year:ラストイヤー→ラスティヤー
olive oil:オリーブオイル→オリーヴォイル

音変化は一部の例外を除き、前の単語が子音で終わり、次の単語が母音で始まるときにおこります。

one of:ワンオブ→ワンノブ

in front of:インフロントオブ→インフロントブ→インフロンロブ
タ行は発音しにくいため、ラ行に音が変わります。

a lot of:アロットオブ→アロトブ→アロロブ
look after:ルックアフター→ルッカフター→ルッカフラー