あと何回桜を見れるか・・・四季があることは良いこと

近年、日本も四季ではなく雨季と乾季という感じになってきました。それでも温かくなれば桜は私たちに時の流れを教えてくれます。

年を取るときっと思うことでしょう、「あと何回桜を見れるだろうか?」

大病を患うと思うことでしょう、「来年の桜を見れるだろうか?」

希望を持っているときは思うことでしょう、「来年の桜が咲く頃には・・・」

入学式、入社式、年度の変わり目には桜があります。言い換えれば、人生の節目に桜ありとも言えそうです。

満開の桜の下でお花見。ありきたりで陳腐な光景ではありますが、大勢の人が桜を求めて移動するのは、桜が日本人の心を魅了してやまない証左のように思えます。

常夏の国にはこのような感覚がありません。一年中同じような気候ですと、時の流れを感じる機会が少ないのかもしれません。常夏の国では、良く言えばのんびりと、悪く言えばだらだらと過ごしているわけです。南国へ旅すると数日であればゆっくりできますが、数週間となると飽きてしまうのも刺激がないからなのでしょう。

四季は私たちに時間が流れていることを教えてくれます。とりわけ食べ物は日本人に季節感を与えてくれます。農業技術の発達により夏の食べ物を冬に食べることができるようになり、食べ物から季節を感じ取ることは難しくなっています。科学技術を最大限享受することは人間の特権なのかもしれませんが、季節感のある食事を楽しみたいものです。

子どものお受験の教材を見ると、野菜や果物の季節を解答する問題がありました。子どもたちは試験用にただ暗記しているだけで、実際食卓にのぼるものは季節感がありません。学問と現実がどんどんかけ離れていくのは残念に思います。