「地獄の沙汰も金次第」とはよく言ったものです。アマゾンのお坊さん便ができたときに、仏教界は強く非難しましたが、こちらからすれば時価のような価格設定や、近隣の人間関係を巧みに利用した半ば無理やり徴収する寄付制度のほうがよっぽど非難に値すると思います。田舎に行くほどこの傾向は強く、詐欺で訴えてもおかしくないくらいのレベルです。
私は、宗教は洗脳だと思っています。歴史的に見れば情報格差を利用した庶民統制システムです。現代はインターネットの普及により、情報格差は格段に少なくなりました。(もちろん貧富の差や技術の差によるデジタルディバイドはありますが)Q&Aサイトなどでお布施の額を聞いたら、どうもこの辺の檀家はぼったくられているんじゃないかと、みんな気付き始めたのでしょう。
私の祖母は100歳ちょうどで亡くなりました。〇〇ホールのような葬儀場で葬儀をとり行ったのですが、お坊さんも葬儀場の人も勘違いしているなと感じたことがあります。(私もだいぶ変わっていますから、もしかすると私のほうがおかしいのかもしれませんが)式場のエレベーターに寝てしまった1歳の息子を抱いて乗ろうとしたとき、係員のひとりが、和尚様がいらっしゃるので降りてくださいと言ってきました。私からすればお坊さんか何か知りませんが、私が譲る必要はないと思い、まず誰がこの葬儀費用を払っているか、そしてあなたたちが食べていけるのはなぜかということを説明しましたが、馬の耳に念仏でした。あなたは頭がおかしいのですかという顔をされました。私は構わずエレベーターに乗っていましたのでお坊さん二人と一緒になりました。ふと見るとそのお坊さんのひとりは中学の同級生でした。もう一人はそのお父さん。エレベーターの中で「どこの世界にこの状況でお客さんを歩かせる商売があるんだ」「田舎だからこんな詐欺的なビジネスが成り立つんだ」と説教(説法?)してやりました。
そんなことを言うと「罰が当たる」とか「成仏できない」という人がいますが、それこそまさに脅迫にほかなりません。人の弱みに付け込む悪徳なビジネスです。もうそのようなくだらないビジネスはやめてほしいと思います。
私は他の多くの日本人同様、無宗教者(葬式の時だけ仏教)ですが、クリスチャンの博愛精神には驚かされることがあります。ホームレスの多い、大阪あいりん地区において、主として活動されているのはクリスチャンの方です。仏教界がホームレスに炊き出しをしたとか救いの手を差し伸べたような話は、私の知る限り、聞いたことがありません。シーク教は寺に来た人には無料で食事を出しています。故スティーブジョブズ氏もお金がないときに利用したと有名なスピーチで言っています。もちろん宗教ですから、自分の宗派へ改宗してほしいという下心はなくはないはずです。それでも宗教法人の仕組みをうまく利用し、自分のところだけにお金を貯めこみ、世に還元しないのは仏教の本質に反しているのではないでしょうか?京都の若いお坊さんたちは、仏教離れを危惧しお坊さんカフェなどを開設し、世に役立とうと動き出している人もいます。
私は死後、海に散骨してほしいと思うのですが、産業廃棄物の海洋投棄などが問題となっている昨今、難しいかもしれません。土に還るということで、桜井の木の下に散骨する事例もあるようですが、近隣住民から苦情が来ているそうです。いっそのこと、人里離れた山頂で鳥葬のほうが良いのかもしれません。
ある日、駅近くのビルから人がたくさん出てくるのを見ました。好奇心から何があったのか聞いてみると、ビルが墓地?になっていて、その日はお坊さんがお経をあげてくれる日だったそうです。
インターネット上で墓参りができると聞いたことがあります。ボタンを押すと宗派ごとのお経を上げることまでできるそうです。ここまでくると、そこまでしなくてもよいのではないかと思ってしまいます。先祖の供養というより、自己満足の世界です。
遺骨や土地家屋などは物理的な財産にすぎません。本当の財産は、習慣や言葉遣い、教育など親から受け継いだものであり、目で見ることも値段をつけることもできないものなのです。
【仏教関連お勧めの本】
MBA老師が喝破する仏教ビジネスのカラクリ
他に2冊面白い本があったのですが、どうしても思い出せません。また思い出したらご紹介します。