グローバライゼイションはアメリカナイゼイション

最近はよくグローバルという言葉を耳にします。英語を使うと何となくそれなりに聞こえてしまうのが恐ろしいところです。日経新聞など読んでいても、英語(実際にはカタカナ表記ですが)ばかり並んでいて英語が分からない人には何を言っているのか分からない文章が少なくありません。英語なら英語だけにすればいいのにと思ってしまいます。私の世代からすると、ルー大柴か!とツッコミを入れたくなります。

しかしながらグローバルがもてはやされる昨今、英語は非常に便利なツールです。なにせ、英語にすればグローバル化したと言えてしまうからです。実際にはただの翻訳であり、グローバルでもなんでもないのですが、なぜかグローバルになってしまうのです。私の知人のプライベートバンカーは、マネーアグリゲーションなどの専門用語(英語)を、書類に多用するそうです。そうすると上司もよくわからず、とは言え、分からないと言うと格好がつかないので、その企画書や稟議書は通ってしまうのだとか。

日本におけるグローバルはアメリカナイゼイションでしかありません。なんでもかんでも英語にしたりアメリカの真似をするのがグローバライゼーションで、多民族、多言語などは置き去りにされています。グローバルでありながらローカルであるとしてグローカルなる言葉が使われたりしますが、そもそもグローバルの意味をはき違えているので、グローバルにもローカルにもなっていないように思います。

余談ですが、フランスの歴史学者、エマニュエル・トッド氏の著書は読みやすく、大学生にも評判が良いです。是非ご一読ください。