ネット上では「社畜」という言葉をよく目にします。会社に飼われているということだそうです。海外では現代の奴隷制度というような呼び方をしている国もあります。
正社員以外の雇用形態で長年勤務していた人が契約を一方的に解除されたと嘆き、ネット民からは同情する声があります。しかしながら、忘れてはならないのは、契約書に判を押したのは自分だということです。
契約は契約です。情は関係ありません。私もハンコ一つで痛い目に遭ったことがあります。いや、今現在も痛い目にあっています。たかが紙切れ一枚、印影一つですが、これだけで地獄に落ちることさえあります。
法治国家においては法律の勉強が必須にもかかわらず、ないがしろにされているような気がします。数学ができようが、英語ができようが、法律のフレームワークの中でいかされているのですから、法律は小学校から教えても良いのではないかと思います。
私も人間ですから情はあります。しかしながら、情を持ち出すと最終的木に損をするのは自分です。冷酷と言われようが事務的に右から左へ処理する方が問題が少ないのは事実です。日本人は人情に弱く、とかく感情論を持ち出しがちですが、感情を持ち込むことによってかえって人を傷つけることもあります。早めに結論を出しておけば深手を負わなくて済んだというような話は枚挙にいとまがありません。ソフトランディングよりもハードランディングの方が結果的に良いことも多いのです。
雇用関係も雇用者側の立場から見れば、勤続年数が長ければそれだけ賃金を上乗せしなければなりません。経験不要の単純労働であれば若い労働力に置き換えたいと考えるのは当然です。こうした経営者の考え方も考慮した上で、自分の他地域を考えて契約すべきなのです。
厳しいことを言うようですが、覚えておいてください、奴隷契約書にサインしたのは他ならぬあなたなのです。大切なことは契約書に小さなフォントサイズで書かれていたりします。それでも契約は契約です。
もちろん不当だと裁判で訴えることも可能です。しかし日本の裁判制度では弱者はたとえ裁判で勝ったとしても、「負け」なのです。裁判費用の負担、精神的負担、そして何より貴重な時間が奪われます。社会的信用が失墜する可能性もあります。
アメリカでは契約書は細かいところまで規定されていますから、契約書の厚さは日本の比ではありません。その中に関係のない書類が紛れ込んでいる可能性もあります。基本的には法律の専門家である弁護士を立てて契約を結びます。
日本では契約を甘く見ている傾向があります。私のその一人で、人生が大きく変わってしまうほど痛い目に遭いました。皆さんもこれを機に、「契約」考え直していただけると幸いです。