忘れることは悪いことか?

最近物忘れが酷いと嘆く声をよく耳にします。人に頼まれたことを忘れてしまったり、うっかり煮物をしたまま外出して鍋を焦がしてしまったり、スマホを何処かに置き忘れてしまったり、年齢に関わらず、人間誰しも忘れてしまうことがあります。

物忘れをすると、中高年であれば「最近、歳のせいで」と年齢のせいにします。後期高齢者であれば、とうとうヤキがまわったかと落ち込んだりもすることでしょう。歳をとったら忘れっぽくなり、それは自分のせいではなく、歳のせいだと言い訳を始めます。

物忘れを防止するガム、記憶力を高めるサプリメントなど、物忘れや記憶に関する商品が数多く販売されています。マグロの目玉の回りのゲル状のものを食べるとDHAが多量に含まれており、頭が良くなると言われていますが、どう考えても勉強しなければ頭が良くなることはありません。多くの人が記憶力に悩みを抱えていることが伺えます。

では、記憶力が良ければ悩みは解決されるのでしょうか?

もしも深い哀しみをいつまでも覚えていたらどうでしょうか?過去の苦い思い出をいつまでも鮮明に覚えていたらどうでしょうか?きっと人生は生き地獄だと思ってしまうことでしょう。そう考えると、忘れることは悪いことでもないように思えます。いや、むしろ忘れないと困ることもあるのです。

物忘れを嘆くのではなく、受け入れてみてはいかがでしょうか?「注文の多い料理店」ならぬ「注文を間違える料理店」(小国史朗著)という本があります。認知症の人たちが料理屋さんで働いており、文字通り注文を忘れてしまい、案の定、注文したものとは違うものが出てくるそうです。ここまでは一般の飲食店でも起こりうることなのですが、違うのはここからです。注文を間違える料理店の客は、間違った注文に対して文句を言わず受け入れるのです。

一般の料理店なら、目くじらを立てて怒る人もいることでしょう。とりわけ近年はモンスターと呼ばれるクレーマーが増えているそうです。いついちゃもんをつけられるのではないかという不安を抱えながら接客している人も少なくないはずです。注文を間違える料理店ではそのような不安はありません。行ったことはありませんが、接客する方もされる側も終始和やかな雰囲気だと想像できます。

どうせ間違えるのであれば注文を取らなくても良いのではないかとの意見もあります。注文と違うものが出てくるのであれば、なんでもいいから注文をとらずに適当に出せと。気持ちはわかりますが、プロセスが大切なのです。注文したものがきちんと出てくる時もあるはずです。その時は本人は仕事ができた喜びを感じることでしょう。また、お客さんも注文通りのものが出てきた。奇跡だ。と、うれしい気持ち?になります。

注文を間違える料理店を訪れるお客さんは、注文を間違えて欲しいという期待を少なからず抱いているのではないかと思います。しかし、お店ではポリシーとしてわざと間違えることはしないようです。全力で取り組んだ結果として、合っていたり間違っていたりするのです。本気だからこそ応援したくなるのではないでしょうか。

間違えた時は、間違ってしまった、でも次は頑張ろうという気になることでしょう。お客さんも、間違えることは織り込み済みですから、腹も立ちません。寛容することが涵養にもなっているのです。忘れることが社会の活力になることもあるのです。

自然界でも忘れることが良い循環を生み出すことがあります。リスはどんぐりを食べます。どんぐりの一部は後で食べるように何処かへ隠すそうです。しかし、リスは隠した場所を忘れることがあり、その置き忘れたドングリは根をはり、芽を出します。またそこに新たな自然の伊吹が芽生えるのです。

忘れることはみなさんが思っているほど悪いことではありません。何より、忘れっぽいと悲観的になることは人生を不幸にします。

忘れることも大切な脳役割です。誰かの名言で、嫌なことばかり覚えている人生は不幸な人生だ。いいことばかりを覚えている人生は幸せな人生だ。

嫌なことはどんどん忘れましょう。

最後に、ビジネスの話をしておきましょう。高齢化により、「記憶」に関するビジネスは大きく伸びることが予想されます。今から少し勉強しておいても損はなさそうです。みんなが目を付ける前に仕込みをしておくことが大切です。 認知症カフェなどは今のトレンドになっています。悩みを解決するタイプのビジネスは社会貢献度も高く、やりがいがあるのではないでしょうか。


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