介護も子育ても経験してみなければわからないことがたくさんあります。介護や子育てを経験したと言っても個人差が大きいため、まったく参考にならないこともよくあります。助けてくれる人が多い環境下における介護と孤立した環境下における介護、資金面で不安のない介護と資金不足の介護では、同じ介護であっても負担は大きく異なります。
しかしながら、これは概ねそうであろうと言えることがあります。それは、介護は被介護者のできることが減っていき、育児は非育児者(このような表現はないと思いますが)はできることが増えていくということです。衰退と成長と換言できるかもしれません。もちろん、介護において、回復してできることが増えるケースもありますが、そうでないケースが圧倒的に多いように思います。
また、介護は何年続くか不明であるのに対し、子育てには期限があります。幼稚園に行くまでに3年、幼稚園で3年、小学校で6年と、ある程度先を読むことができます。最近は成人後も長期に渡り親のすねをかじる人も増えていますから、成人後、直ちに自立というわけにはいかないかもしれません。
介護は回復もしくは死が期限となります。多くの場合、後者をもって介護の終わりとなりますが、何年になるかは不明です。現代の医療技術をもってすれば、生命を維持するだけであれば永遠とまでは言えないまでも、長期に渡り生存させることは可能です。延命治療はこの期限を延ばしてしまうので必ずしも幸せとは言えなそうです。
分岐点は?
人は生まれた瞬間から死への秒読みが始まります。そう考えると悲観的かもしれませんが、寿命があるわけですから避けられない真実とも言えます。しかしながら現実的には、ある一定の時期までは成長と捉え、その後は老化と捉えることが多いのではないかと思います。その成長と老化の分岐点はどこにあるのでしょうか? 思春期くらいまでを成長、青年期は緩衝地帯のようにどちらにも属さず中立的で、中年以降、病気などが増えてくると老化と捉えているように思います。どうやら明確な分岐点はなさそうです。私たちの情報のほとんどは視覚から入ってきますから、肉体的な成長や老化ばかりに目が行きますが、精神的な成長や老化も考えていただきたいと思います。肉体は歳とともに衰えますが、精神はその限りではありません。たとえ肉体が成長しなくなっても、精神の成長は命ある限り可能です。
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