なくなる職業リストを鵜呑みにしない

日本で出回っているなくなる職業、消える職業のリストはオックスフォード大学のオスボーン先生の論文が元になっています。この論文は参考文献とリストが多く、PDFで約80ページほどあります。日本語で公開されているリストは簡易的なもので、オスボーン先生の研究結果を情報発信者の都合に合わせて変えているように思います。この機会に原本に当たることを強くお勧めします。

さて、なくなる職業リストは”computerisable” (コンピュータに取って代わることができる)可能性があるものを1、可能性がないものを0としてスコアを付けています。実際には0と1のような数字ではなく、小数点以下4桁まで表示されています。

ざっくりしたことを言えば、専門性の高いもので多種多様な対応が必要な職業はコンピュータ化されにくく、単純作業及びマニュアルがあるような仕事(所謂、マックジョブ:マクドナルドで行われているような分業化された単純作業)はコンピュータ化されやすいと言えます。

このリストで1に近い数字が出たからと言って悲観的になる必要はありません。あくまでもコンピュータ化が技術的に可能であるというという認識で良いと思います。もっと言えば現時点における技術レベルで可能であるということなので、将来は他の職業もコンピュータ化が可能となるはずです。オスボーン先生この論文も2013年に出されたものですから、今とはだいぶ異なるのではないかと思います。

コンピュータ化が可能であるから直ちに導入するというわけではありません。まずはコスト的に見合うか検討するはずです。コンピュータ化に多大なコストがかかるのであれば見送るはずです。コンピュータ化、現状維持、人件費の安い国へ製造拠点を移すなど、複数の選択肢があります。どれを選ぶかは経営者の方針によります。

弁護士や医者のような高度な知識を必要とする職業はコンピュータ化されにくいと考えがちですが、高度な知識こそコンピュータが得意な分野です。弁護士の書類には雛形があります。それをクライアントによって多少変更しているにすぎません。風邪をひいたときの医者の診察もそうです。基本的な問診によって出す薬が決まります。コンピュータは画像診断もできますのでコンピュータ化可能です。

問題はここからです。経済は歴史と密接な関係があり、少々乱暴ですが、歴史は政策であると言えます。次のようなケースでは経済原理とは別の理論で物事が動きます。例えば製造業において政府がコンピュータ化に50%の補助金を出す、利益団体、圧力団体である医師会や薬剤師会がコンピュータ化に断固として反対する。このようなケースではたとえ技術的に可能であったとしても、コンピュータ化されることはありません。

オスボーン先生は某雑誌のインタビューで、「大切なのは生まれる職業である」と述べています。駅の改札を例に挙げて考えてみましょう。昔は改札口で駅員が切符を切っていました。それが今では自動改札になりました。切符を切る人員は不要となりましたが、自動改札機、ソフトウェア、メンテナンスなど新しい仕事が生まれました。変化はチャンスでもあるのです。

リストから伺えることは、人間の精神に関することはコンピュータ化されにくいということです。興味深い例は「遊び」です。遊びはコンピュータ化されにくいと言えます。仮にコンピュータ化されたら面白くなくなります。自動車レース、サーフィン、乗馬など、自動化されたら何の楽しみもありません。

これまでは一分一秒を惜しみ一生懸命勉強してきた人の仕事はなくなり、遊んできた人が仕事を得ることができるパラダイムシフトが起こる可能性があるのです。教育ママが部屋に入るなり、「勉強ばかりしていないで遊びなさい」「遊びの宿題はやったの?」と叫ぶ時代が来るのかもしれません。

人間の仕事が少なくなり、たくさんの仕事を得ることができるであろうロボットたちは「将来は安泰だ」と喜んでいるかもしれませんが、世の中はそんなに甘くありません。いち早くロボットをフロントに導入した「変なホテル」ですが、老朽化に伴いロボットをリストラしたそうです。スマートフォンもそうですが、OSのアップデートには限界があります。アップデートについていけないロボットは廃棄(リストラ)されてしまうのです。ロボットの世界も人間の世界もさほど変わらないのです。

THE FUTURE OF EMPLOYMENT: HOW SUSCEPTIBLE ARE JOBS TO COMPUTERISATION?   Carl Benedikt Frey and Michael A. Osborne

https://www.oxfordmartin.ox.ac.uk/downloads/academic/The_Future_of_Employment.pdf